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<title>編集長のページ</title>
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<title>今道先生最終講義</title>
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<description>（２０１０年１月１６日午後２時　六本木アカデミー・オ－ディトリアムに於いて） １...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;（２０１０年１月１６日午後２時　六本木アカデミー・オ－ディトリアムに於いて）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１月１６日、今道友信先生のアスペン・フェローズでの「最終講義」を聴いた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先生は昨年６月に医者から「このままでは余命一ヶ月」と宣告され、自説を曲げて大手術を行なった。まだ書くべきこと、語り継ぐことがたくさんあったからだが、心中いかなるものであったか推し量るべくもない。久しぶりにお会いした先生は、明らかに面代わりされていた。手術後で痩せられたとかというようなことではない。先生のお人柄のなかにある何か重要なものが変わられたという印象を受けた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先生に初めてお会いしたのは、４年前である。初対面なのにとてもそうは思えなかった。&lt;br /&gt;
專越なことではあるが、詩人と哲学者の感性を持つ者の「魂の質の類似性」というべきものを私は先生に感じたのである。だから私は最初から先生には、配慮はしたが、遠慮はしなかった。そんな私に今にして思えば失礼なことではあるが先生の方が気を使ってくださり、生まれ育ちの違いを先生の周囲への気の使い方の中に感じた。その当時の先生の外貌は「大きく優しげで気品があり」なお且つこれも大変失礼な言い方だが、大きな身体と厳然たる表情の内に少年の初々しさともいえるものを宿しておられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、そんな先生との出会いが数冊の本となり結実した。中の一冊が湖山医療福祉グループ代表の湖山泰成氏の支援でレイラインから発刊された『チェロを奏く象』である。今道先生から大学ノートなどに記した約３５０位の詩の草稿を貸していただき、編集させていただいたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、この日、先生は、先生の２本の杖を持ち、男性二人に支えられて登壇した。初めは声に力がなくどうなることかと案じていた。しかし、時間が過ぎるごとに声に力が漲り、入院以来の外出にも関わらず休憩なしで、２時間以上にわたる「２１世紀の課題」と題する講演をされ、１５分の休憩をはさみ質疑にも応じられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;講義内容は、１、リーダー論。２、社会構造の逆転―技術関連の変化。３、選択と決断の差異、の３点がメインであるが、先生が提唱されているエコエティカ（生圏倫理学）についても熱心に話された。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2006年デンマークに「Tomonobu Imamichi International of Philosophy－Ecoethics」という、今道先生のお名前を冠した研究所が設置されたことは日本では関係者以外ほとんど知られていないが、哲学界の世界的第一人者Prof.Peter Kempfが所長を務めている。今道先生は終身理事長というお立場である。　　&lt;br /&gt;
日本では、先生の主宰する「哲学美学比較研究国際センター」で23回の国際的な連続講座も開催したが、ここで新たな時代の哲学が日々考えられていることを先生はとても誇りにされていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●参考図書「エコエティカ」生圏倫理学入門（講談社学術文庫）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この日、先生は、現在アナログといわれるものの中にデジタルの構造の欠陥をおぎなうものがあるというお話をされた。この部分は、先生の面目躍如たる話であった。つまりデジタルも人間が作り出したものではあるが、人間本来に備わっている感覚器官から遠ざかり、なかんずく人間の深い叡智から人間そのものを遮断する傾向にあるということを、ご自分の直近の体験を交えながら話された。先生の話はとても分りやすく、深く聴こうとしない者にとっては卑近に過ぎると思われるかも知れない。しかし先生が尊敬するプラトンもソクラテスも、けして日常の営為から遠く離れた高尚な言葉で哲学を語ったわけではない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;むしろ私などは、翻訳されたカントやヘーゲルや、その他もろもろの近代西洋哲学の本を数多く読んだために、日常の思考とは違う「哲学的概念」に馴染みすぎている嫌いがあり、先生が孔子の「論語」や道元の書を引いて解釈してくださる漢字の深い意味に蒙を開かれる気がすることがある。いずれにしても先生と私では教養の程度が違いすぎるので、ここはあまり踏み込まない方が無難であろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ともあれ先生は、「人間そのもの」のまだ発見されていない能力はアナログそのものの中にあると考えている。その能力なり、叡智が発揮されないうちに、なにやら便利で効率的ではあるが、いかがわしい部分もあるデジタル構造というものにすべてを預けてしまっては危ないと警告を発せられた（要旨）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかも時代は先の見えない変動の時である。少なくとも時代のリーダーを目指すものは、「人間にとっての新たな規範を義において考える」くらいの気概を見せて欲しいと鋭い眼差しで語られた。そして、リーダーの持つべき徳目である「義」と「レスポンシビリティ」は相合して人類意識に開かれた徳目となることを強調された。リーダーになるということは、｢権力を志向することではなく｣、「我を犠牲にして人類そのものに自己に与えられた能力を捧げ尽くすこと」であると言われた（要旨）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こう語られたときの「先生の鋭い眼差し」、これが久しぶりにお会いした先生が面代わりされたと私が感じた最たるものである。私は、先生が半年以上、この下界から隔てられている間に、先生を良くも悪くもこの下界に縛り付けていた「今道先生という人格のなかに存在した重要な何か」を振り捨ててこられたのだと思った。これは、私にとって衝撃的な体験であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最後に先生は、一人の質問者に次のように答えられた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「私が、預言者になったかどうかは知りません。しかし哲学史家ではなく、哲学者になったことは確かです」（要旨）＊&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;＊	若年の今道先生が、鎌倉の西田幾多郎宅を訪れたときに、「根拠を持った預言者になりなさい、云々」と西田から言われたというエピソードを読んだ質問者が、「現在の自分がそのような存在なったと思うか」という質問への答え。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先生の講演が終り、同行者と近くの店で、感想など語りあったが、私は上の空であった。先生が語られたここに記すことのできなかった先生の様々な言葉が脳裏に渦巻いていたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０１０年１月１７日　arc編集長　東郷　禮子&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>２０１０年初頭に。</title>
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<description>レイラインという会社を設立して９年目になる。２１世紀にちなんで設立月日は２００１...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;レイラインという会社を設立して９年目になる。２１世紀にちなんで設立月日は２００１年２月２１日である。まわりから「え、２月が決算月！」とよく言われたが、“心情的語呂合わせ”の方が、“ビジネス的慣例”よりはるかに勝っていたのだ。そして、２００２年１０月に雑誌arcを創刊した。&lt;br /&gt;
	&lt;br /&gt;
この雑誌創刊も世間の常識に逆行するものであった。景気の後退とともに雑誌総体の売れ上げが落ち始め、「活字離れ」が言われ始めたころであった。加えて、実売数と反比例するかのように書籍の発刊部数が増大の一途を辿っていた。いわば出版界は大きな制度矛盾に見舞われていたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;つまり「本を作る出版社」と「本を売る書店」、それに「本を配本する流通」に不景気・「活字離れ」も重なり、それぞれに｢お金｣が適正に廻っていかない。それで「お金」を現在の流通制度の中で廻しながら生き残ろうとする一部出版社にとって本は、“文化のたま物”というより、自由主義経済下で消費される“単なる商品”と成り下がってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　また一部書店は、溢れる本で埋め尽くされる“棚”をコスト削減の謳い文句の下に、目利きとは程遠いアルバイト店員に管理させ始めた。彼等の“ルーテンな作業“により“熱意を持って作成された良質な本”も“消費されることを目的とした期間限定本”も一緒くたに、版元→流通→書店→(返本)という、まるで本が、それらのベルトコンベヤーに載せられたような光景が展開され始めた。このとき、「もっとよい本を読みたい」という「活字離れとは無縁な読者」の願望は無視され、出版界は現在まで続く「マイナスのスパイラル」(悪循環)に陥ったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、２００２年１０月にレイラインより創刊される予定の雑誌は、カテゴライズ不可能、コンテンツもはっきりしないarcアークであった。これでは出版界に詳しい周囲に否定的な声が満ちるのも当然のことではあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、雑誌arcは予定通り創刊され、何とかここまでやってきた。１３号ではコンテンツもほぼ固まり、一般読者にも編集者の意図をかなり伝えることができたのではと考えている。会社代表兼編集長の私は、一年一年歳を重ねるごとに多少の実際的な経験を重ねてきているのだが、これがarc同様になかなか成長しない器である。幸い、２００９年、３０代の副編集長、アートディレクターを迎え、背中を押されるように一歩前進できた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、今年、レイラインは、新たなロゴ、新たな表現を目指し、レイライン・パブリッシングとしてまた一歩先に進む。大それた夢を語るにはまだまだ様々なものが不足している現状ではあるが、この社会、この出版界の混沌から飛立つ、一羽の蝶としての役割を果していきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
２０１０年１月６日　　arc編集長　東郷　禮子　&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>加熱した夏の後で</title>
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<description>今年の夏は加熱していた。雑誌arc１３号編集作業の山場、政権交代、諸々が一度にや...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今年の夏は加熱していた。雑誌&lt;strong&gt;arc１３号&lt;/strong&gt;編集作業の山場、政権交代、諸々が一度にやってきた。一見脈絡もなさそうな事柄が基底部では連結し、編集長たる私の意識のなかでメロディーならぬ大音響を立て、日々の作業を促進させ、停滞もさせる。すべての内奥の事態は本人に属することなので他からは伺いしれない。・・・このような日々を過ごして&lt;strong&gt;arc１３号&lt;/strong&gt;は印刷工程に入った。&lt;br /&gt;
読者の皆様の手には１１月の１２日ごろからお届けできると思う。&lt;br /&gt;
お手にとって、読んでいただけたら、是非とも、この編集長のページに感想をお寄せいただきたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なにしろ、｢arc世界連邦政府憲法　試案」が和文・英文で掲載されている。このような無謀な企てを成したのも、この夏の加熱した時空間であり、編集部内に満ちたある種の切迫感である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年１０月２７日　&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>火を熾す</title>
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<description>昨年１０月に発刊されて以来読みたいと思っていたジャック・ロンドンの短編集『火を熾...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨年１０月に発刊されて以来読みたいと思っていたジャック・ロンドンの短編集『火を熾す』（柴田元幸訳）をやっと読むことが出来た。ジャック・ロンドンは２０代のころ大好きな作家だった。彼の伝記『馬に乗った水夫』を随分たくさんの友人に貸してあげたが、３冊ぐらい手元にあったのがいつのまにかなくなってしまっていた。&lt;br /&gt;
それから、約３０年近くジャック・ロンドンの著作を紐解く機会はなかった。&lt;br /&gt;
本当に、久しぶりに彼の世界に触れた。柴田氏の卓越した翻訳のせいもあるが、素晴らしかった。&lt;br /&gt;
ひたひたと、そして凍える闇のなかにジャック・ロンドンの彫刻した男たちの存在が、周囲を動き回る動物たちの呼吸と同次元のものとして伝わってきた。そのような生き物たちが徘徊する地球という大地の不動の側面、そしてあがき、ざわざわと動き回る人、この対比を描く作者の変らぬ距離感。ああ、そしてふと思う、これはいつの時代のことであったのかと・・・・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　６月5日&lt;br /&gt;
　　　　&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/05/post-c1a9.html">
<title>ベーシック・インカム</title>
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<description>最近、『ベーシック・インカム入門』山森亨著（光文社新書）という本を読んだ。嬉しか...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、『ベーシック・インカム入門』山森亨著（光文社新書）という本を読んだ。嬉しかったのは、著者が１９７０年生まれだということであった。このような若い世代にも、やつとこのような視点を持った研究者（？）が現われ始めたのかという感慨を持って読んだせいか、内容だけでなく、文体もとても新鮮に感じた。&lt;br /&gt;
ベーシック・インカムとはすべての個人に生きていける最低限の所得保障をするという考え方だが、山森氏によるとこれまでも全世界で様々な人がこの考え方を述べているという。ちなみに私の贔屓にする経済学者J･S･ミルも言及しているという。なんということ！こんな大事なことを読み飛ばしていたとは！&lt;br /&gt;
さらに、あのキング牧師もこのベーシック・インカムに賛同し、１９６８年４月ニューヨークまで白人低所得層・エスニックマイノリティー・黒人など１０万人規模の人々を結集した「貧者の行進」を行なう予定であったところ、その行進が始まる同じ月に暗殺される。またそのために集った活動家たちも逮捕され、アメリカ政府の非常事態宣言により、デモ行進も中止に追い込まれたという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まあ、アメリカのことはさておくとして、このところの日本の社会保障政策のおそまつぶりをみると、この考え方が再浮上してきたことも十分に納得できる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は小学生高学年のころに｢日本国憲法」の２５条を読み、なぜかとても安心した記憶がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いま考えれば、この条文こそまさに、「ベーシック・インカム」の発想と同義のものである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日、技術革新がさらに進み、事務系であっても、技術系であっても、雇用形態のなかでは人手がいらなくなる方向に進んでいる。一方でそのようなことも背景にして企業はコスト削減という名目で人を削る。多くの人々の生活を支えてきた、賃金労働というものもこうして様変わりしはじめた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;虚心坦懐に、人にとって「働く」ということの意味、｢生存」するということの意味、それらを改めて考えてみるのに&lt;br /&gt;
「ベーシック・インカム」という考え方はよい切り口になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　２００９年　５月４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/04/post-c069.html">
<title>阿修羅像</title>
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<description>最近テレビ画面でよく阿修羅像にお目にかかる。 なんでも興福寺創建1300年記念と...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近テレビ画面でよく阿修羅像にお目にかかる。 なんでも興福寺創建1300年記念ということで各地を巡回して「阿修羅展」を開催するかららしい。この像は昔修学旅行で見学して以来、心に残っている仏像のひとつである。&lt;br /&gt;
最近、ふと鏡を見たら、表情があの正面を向いた阿修羅に似ていた。このごろ宗教関係の本をよく読み、改めて宗教心ということについて考えているので、そのせいか（まさか！）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;過去の宗教者は、「宗教者」一括りできないほどいろいろいた。日本に限っていっても、檀家･門徒などに差別感に満ちた偏見を語り、宗教の名のもとに、住職･僧侶などの立場を利用し「無知な衆生」に「偏見に満ちた世間知」を植え付け、増長させることに一生懸命の者もいた。逆に時代の空気に逆行して牢屋に入れられても、自分が学んだ仏の本義を説き続けた者もいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近はどうだろう。「宗教者」は本当に「衆生の救済」を考えているのだろうか。特に、仏教者・神道関係者はただの「伝統文化」を守る人になってはいないか。度々「阿修羅像」のあの表情を見るたびに考えこんでてしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　２００９年４月２２日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/04/post-3e47.html">
<title>アトムの残骸</title>
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<description>疲労困憊したときによく思い出すのは、少女のころに読んだ『鉄腕アトム』の漫画の一場...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;疲労困憊したときによく思い出すのは、少女のころに読んだ『鉄腕アトム』の漫画の一場面である。&lt;br /&gt;
敵と戦い空を飛んでいたアトムが燃料切れを起こし、海に墜落してしまう。そして波打ち際に腕や足がバラバラになったアトムの残骸が流れ着いているという一コマである。&lt;br /&gt;
少女のころに読んだ手塚漫画は、『大洪水』など、どれもどこか哀しく、とくにこの場面には胸を締め付けられた記憶がある。昔から動物や人の心を持ったロボットなど人間以外の存在を主人公にした小説などを読むと、人に感情移入するよりも、ずっと深く感情移入する傾向があった。今はまだ深く分析し終えてはいないが、「鉄腕アトム」にもかなり感情移入していた。上記の場面を思い出し、つらく哀しいアトムを思い、そして自分もいつか修理され回復するのだと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところで、この毎日、夜は、届いたばかりの『困難な自由』エマニュエル・レヴィナス著（法政大学出版局・合田正人監訳･三浦直希訳）を読んでいた。またも宗教関係の、それもユダヤ教の骨子に迫ろうという長大な思考に裏付けられた本であったが、読み進むにつれ、強烈な忌避感が湧いて来た。それが、翻訳された切迫感のある文体のせいなのか、レヴィナス自身の思考の立て方にあるのかは分からない。いずれにしても、ある種の熱狂に対して、私は過去に、このように表現された思想と言葉を知っていた。もちろん私は「律法」を読んではいないし、ラビたちの言葉も知らない。しかし、そのようなことではなく・・・・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００９年４月８日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/04/post-e3ba.html">
<title>リチャード</title>
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<description>３月３１日にタイさんがアメリカに帰国し、入れ替わりにイギリスからリチャードがやっ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;３月３１日にタイさんがアメリカに帰国し、入れ替わりにイギリスからリチャードがやってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;リチャードは、同居人のロンドン留学時代のホームスティ先の主人だ。ケンブリッチのトリニティカレッジを出てすごいインテリなのだそうだ。私はロンドンで奥さんのスーザンにはお会いしたが、リチャードには生憎会えなかった。、リチャードの歓迎会が新宿で行なわれた。リチャード宅の日本人滞在者は大学の関係者が多い。そんな事情もあり、主宰者も大学教員、出席者も大学関係者が多い。なんでも、リチャードは日本中の興味の赴く場所を２年がかりで調べ上げ、約一ヶ月近い滞在期間のスケジュールを全部自分で作成したのだという。&lt;br /&gt;
その日までに、すでに「浅草･築地」は見学が終り、歓迎会主宰者のY氏は朝５時からの築地見学にも同行したのだという。この後、関西方面でも歓迎会が開かれ、最後には大学で日本滞在の感想を講演するのだそうだ。&lt;br /&gt;
もう、驚くばかりのスケジュールである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、しかし、初対面のリチャードにお会いしたら、かなり、ほとんど納得した。&lt;br /&gt;
私の印象では、彼はケンブリッチ出のインテリというより、海賊キャプテンクックのような男だった。&lt;br /&gt;
服装も出席者のなかで誰よりもラフだったし、笑顔も晴れやかで気取りがない。&lt;br /&gt;
会話も当意即妙、声も良い響きのバスで、「紳士の国」からというより、｢自由の国」から潮風を浴びてやってきた人という感じであった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
タイさんからは、桜の満開が見れなくて残念とメールが届いた。それから、あまりにも慌しい帰国だったので富士山頂上に登ったときの記念の杖を忘れたのがよほど残念だったのか、杖に関してのメールが２通も届いた。追跡したのだが、杖はすでに廃品業者の手を離れどこかに行ってしまった。&lt;br /&gt;
「もう一度日本に来て、富士山の頂上を目指してください！」と返信メールを送った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;満開の桜の向こうに、モノクロームの世界がうごめいている、そんな一週間であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　４月７日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-04-07T12:14:37+09:00</dc:date>
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<title>花冷え</title>
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<description>この数日暖かい日が続き、油断をしていたら風邪気味になり、慌てて市販の風邪薬を飲ん...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この数日暖かい日が続き、油断をしていたら風邪気味になり、慌てて市販の風邪薬を飲んでことなきを得た。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その間、隣人タイ・ウェンさんが急遽アメリカに帰国することになったので我が家で遠方の友人も呼んで「サヨナラパーティ」を開いた。タイさんがその方面では有名な生化学者であるということを知ったのはタイさんと話をするようになって、２年ほど経ってからだった。それまでは、近所の研究所に勤めているアメリカ在住のベトナム人で、とても気さくで親切な方という認識しかなかった。彼といろいろ話すようになってから、１０代の彼がベトナム戦争を契機に大変な思いをして、アメリカに渡りアメリカの大学で生化学を学び博士号を取得した経緯を知ったのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「サヨナラパーティ」で、「私は昔からボーダレスよ」と言った私の両手をタイさんは強く握り、「ぼくもそうです！」と応えてくれた。後になればなるほど記憶の底から甦ってくる場面になるな、とそのとき感じた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この日、私はいつもより少し薄着でワインもたくさん飲んだのだが、みんなが帰ってしばらくするとくしゃみが出はじめた。まさに「花冷え」、その前の日に訪れた、タイさんの部屋の窓からは、窓を額縁に斜面の満開の桃畑が見えた。タイさんは日本語で「美しい！」と言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;思えば、美しいものと、そうでないものがせめぎ合っていたこの数週間であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年３月２４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>エリアーデ</title>
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<description>なぜか最近この名前に度々出会う。正確には、ミルチア・エリアーデ、アメリカに帰化し...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;なぜか最近この名前に度々出会う。正確には、ミルチア・エリアーデ、アメリカに帰化したルーマニア人の哲学者･宗教学者・文学者である。出会うということはその名前が記憶に残るということであり、気になるということでもある。はるか昔にその著作を読んだ気がするがそのときは、記憶に残らなかった。だいたいこれまで膨大な本を読んできたので、読んだのに、読んでないと思い、再読してみるとそのときの読後感が甦り、（あぁ、だから忘れたのだ）などと納得することが多い、つまり記憶する必要がないとそのときは、私の脳が判断したのだ。だがたまに（え！なんでこの作者のものをもっと読み込まなかったのだろう？）と感じることもある。大概の場合、その本を早く読みすぎて深いところまで理解できなかったのだ。一番の例は、スタンダール、１４歳の私にはスタンダールは理解できなかった。しかしそれから３０年後くらいに、彼の『赤と黒』を読み直し感動した。だいたいスタンダール以外にもバルザック・ドフトエフスキーなど作品を真剣に読み始めたのは中学生のころである。不思議なことにドフトエフスキーの作品は、理解できた。バルザックの作品も理解できた。しかし、スタンダールの作品は理解できなかったのである。エリアーデは、今なら理解できそうな予感がする。&lt;br /&gt;
しかし、まだ手にとってはいない。今私が考えを深めていることと繫がる予感もする。だから、おいそれと読めないのだ。だから、エリアーデさんもう少し待ってください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年３月12日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>おひな祭り</title>
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<description>本日は、3月3日「おひな祭り」である。関東地方の天気予報はおおむね曇り後雪。「お...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;本日は、3月3日「おひな祭り」である。関東地方の天気予報はおおむね曇り後雪。「おひな祭り」にちなんだわけではないが、今日は都心にでかけ、女3人の会食を予定している。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;最近このページに猫の情報がないという声を聞くので、少し記すことにする。日曜日のETV特集（NHK３チャンネル）で、多摩川の河川敷で暮すホームレスの人たちと、飼っている猫や犬のドキュメンタリーを放映していた。彼等が世話をしている犬や猫はほとんどが誰かに多摩川まで運ばれ捨てられたのだ。なかで、一人で１４匹の猫と一頭の犬の世話をしているKさんという人のドキュメントが胸にこたえた。多摩川のホームレスのおじさんたちは、近隣の町で空き缶などを集め、それを換金して犬猫の餌や自分たちの日々の糧をまかなっている。Kさんの場合、明らかに自分の食い扶持を稼ぐというより、犬猫の食い扶持を稼ぐために空き缶を集めている。しかも、このところの金融危機で空き缶の買取価格も急激に下落しているという。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;Kさんの世話している犬が、Kさんの小屋のなかでうずくまっている猫の耳の後ろをしきりに舐めている映像があった。その猫は、耳の後ろがただれて出血していた。その映像を見ていて、タルコフスキーの「ノスタルジア」を観た時のなんともいえない胸苦しい気持が甦ってきた。あの映画でも、弱い動物ばかりが優しく賢かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この状況をどのようにしたら変えることができるのか。タルコフスキーは映画のなかで、自殺する前の、副主人公ドミニクに、「俺は家族と自分の幸せばかりを考えてきたからいけなかったんだ」と言わせている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「おひな祭り」、現在のところ出口なしのこのホームレスのおじさんたちと世話をしている犬や猫に、せめてもの気持を届けたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2009年3月3日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>パラダイムシフト</title>
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<description>最近、「パラダイムシフト」という言葉をあちこちで聞く。時代の危機的状況を考えれば...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、「パラダイムシフト」という言葉をあちこちで聞く。時代の危機的状況を考えれば、この言葉が頻繁に登場することは理解できる。しかし、パラダイムシフトは意図して創出できるものなのか。人々のものの見方、価値判断が時代状況のなかで少しずつ表面的に変ることはあるが、根源的に人々の「ものの見方、捉え方」が組み替えられるということは、そうたやすくは起らないのではないか。たとえば、個々の、ある種の宗教的体験のなかでは、そういうことが起る可能性はある。アシジの聖フランチェスコの弟子たちは、そうであったし、時々の文明のなかで生まれた宗教者の宗教的体験は、その時代の社会的構造の埒外から、その時代の価値観と生き方を組み替え、新たな人間と、新たな生き方を宗教的次元で確立した。また既成の価値観や、人間観を再考し、新たな人のあり方を考えるということは、哲学者や思想家などにより模索され続けてきたことでもあったが、意図したパラダイムシフトというのには、なにか言語矛盾のようなものをを感じる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、既存の言葉の持つ意味内容が変るほどの変化が「パラダイムシフト」だと考えている。だとすれば、私たちは日常的に使用している言語（意味）への、新たなる到達手段を見つけなければならないと思う。&lt;br /&gt;
たとえば、ごく普通に使用されている、「怒り」とか、「憎しみ」とか、個々の感情を言い表す、言葉に違和感を覚えることがあったとしたら、それが個々における「パラダイムシフト」の予兆であると思うのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;strong&gt;その意味を再考することは、個々の革命に繫がるし、社会に確実に伝播していくだろう。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　2009年3月1日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-d7be.html">
<title>得心</title>
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<description>社会には、いろいろな変化があり、様々な表明が満ち溢れている。 しかし、これは単な...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;社会には、いろいろな変化があり、様々な表明が満ち溢れている。&lt;br /&gt;
しかし、これは単なるパフォーマンスだなと感じる場合が多い。例えば先頃ドイツに見習って、一般家庭の太陽光発電の買い取り価格をこれまでの倍にすると発表した東京電力、新聞記事を詳しく見るとその買取費用は、コスト増加分として一般家庭の電気料金に上乗せされるという。全く信じられないことを平気で行う。こういうパフォーマンスがまかり通ってしまうのが、日本の現状である。&lt;br /&gt;
世界中で人々は、変化を求めている。もちろんそうでない人々もいる。上記の東電関係者は、変化を嫌がっているのが小さな新聞記事からも分かる。例えばそれが革新的な変化でなく、原子力発電所を倍にふやし、一般家庭の自然エネルギーによる自家発電を認めず、電力はすべて東電などの管理下におくということであれば、大賛成するだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、明らかに人々が「変る必要がある」「変らなければ」と感じても、社会全体は政治もふくめて急激には変らない。まして、日本は議会制民主主義の国である。代議士や地方自治体の議員は選べるが、首相（大統領）は直接選ぶことが出来ない。アメリカのように一人の大統領が登場して、まわりの行政官まで総交代というわけにはいかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ならば、どのような方法で私たちは変化を起すことができるのか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ひとつ、経験から言える確実な方法がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先ず、｢自分が変る」のである。それも表面的に変るのではない。いろいろなことを自分で考え｢得心する瞬間」がある。「そのとき私たちは変る」。そして、その小さな変化が大変なエネルギーを持っているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、それからのことは、またその時点で、自分で得心するまで考える。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのようにして起ってくる｢変化」もあるということを記しておこう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　2009年2月26日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-e4ce.html">
<title>中心からの逸脱</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-e4ce.html</link>
<description>改めて、「カナリア」の意味について考える。先ず「カナリア」は世間の価値観に染まる...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;改めて、「カナリア」の意味について考える。先ず「カナリア」は世間の価値観に染まることができない。&lt;br /&gt;
社会はシステムのうえでは変っていくが、人々の意識が変らない限り、｢世間」という場はどこにでも、いつでも出現するだろう。｢世間」は時々に曖昧模糊とした人々の意識のなかで、強固で実利的な価値観を形成する。&lt;br /&gt;
古来人々は、この価値観を受け入れることで、社会のなかでの自分という存在の有益性、あるいは無価値性を確認した、つまり人々は世間と繫がっていることにより、孤立感を解消し、「皆と同じ存在」になることでときどきの実質的社会を支えてきたのだ。&lt;br /&gt;
しかし、カナリアはこの｢皆と同じ」世界のなかでは生きえない。そこで「社会の曖昧模糊とした中心」から逸脱し&lt;br /&gt;
個々の人格のなかに普遍的な価値を形成する作業に没頭する。それは「カナリアの魂」と擦り合う現実の人、現実の状況のなかで磨かれ、自己のカナリアたる魂の、心の源に遡る旅でもあるし、まだ実現されていない未来の価値を自己のなかに確認、確立する旅でもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしても、「カナリア」は、一つの必然としての生を生きる者であり、この世にあって、過去と未来を繫ぐ使者でもある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　2月25日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-82b2.html">
<title>魂を割るような対話。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-82b2.html</link>
<description>激情に駆られてではなく、お互いの魂を割るような対話は出来るのだろうか。 このこと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;激情に駆られてではなく、お互いの魂を割るような対話は出来るのだろうか。&lt;br /&gt;
このことは、&lt;strong&gt;ａｒｃ&lt;/strong&gt;9号の中沢新一さんとのインタビューのなかでも語っている。人は、そのような出会いを繰り返しながら現状を打破できるのかもしれないと・・・・・・。しかしその後の自分を省みて、はたして私は、そのような対話を何回してきたのかと考える。率直であったことは何度もあった。だが魂を割るということは、単に率直であるだけでは足りない。相手も率直であるとすれば、共感の域までは達するであろう。しかし、殻にこもって、他者を寄せ付けない人が多い世の中である。私はそのような人々を前にして話しのきっかけさえ失い、ひるんでいたのではなかったか。最近、だから、たびたび考える。そのような対話の動機になるエネルギーのことを。そして、それが宗教的感情や恋愛感情に近いものであり、その動機の源にさらに下りてゆく努力によって可能になるのかもしれないと。否、公で話した以上、そのことを実現する責務が多分私にはあるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●&lt;strong&gt;最近読んだ本&lt;/strong&gt;『イスラムの宗教思想』ーガザーリーとその周辺ー中村康治郎著（岩波書店&lt;br /&gt;
　学ぶことの多い本であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2009年2月21日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-02-21T13:57:49+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-cbbd.html">
<title>明確なる意志</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-cbbd.html</link>
<description>様々な情報が飛び交うなかで、日々起ってくることの実態が見失われている。近代といわ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;様々な情報が飛び交うなかで、日々起ってくることの実態が見失われている。近代といわれている時代のただなかに生を受けて、何が近代なのかということも不鮮明である。歴史を時間軸のみで計れば私たちは最先端の時代を生きている。&lt;br /&gt;
しかし、昨今の時代状況を眺めれば、最先端に生きていることの意味を問い直さざるを得ないだろう。人々の意識はバラバラである。石器時代の意識のまま生きている人もいれば、中世の寒村で暮す人々の意識のままで生きている人もいる。総じてこの地球上で暮す人々の意識は、これだけの歴史を経ても、その情報量にも関らず、そう変っていないように思える。しかし、その間にも世界の時計は秒針を進め、あらゆるものを内に抱えつつ人々の暮す世界それ自体の意味を問い続ける。&lt;br /&gt;
私は、昔、考えたことがある。「わたしがわたしでなく、わたしがあなたであり、あなたがわたしである」ということを、そして、このごろそのことをふと思い出す。許し、祈拝するという行為は、宗教者の考え出した単なる規範なのかと・・・・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日、近所の駐車場で、昨年春生まれた野良猫がおびただしい血を吐いて死んでいた。&lt;br /&gt;
それは、冬の陽だまりのなかで「あなたと、わたし」が作り上げている、この社会のどうしょうもなく醜悪な腐臭を静かに抱え込んだまま、ただ死に、ただ横たわっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そう、「明確なる意志」を持っているのは私という個人なのだ。&lt;br /&gt;
その意志の強靭さを、これから伝えていかなくては・・・・・・チビという野良猫が、ただ死んだ光景を見て、世界の時間が私の背中をそっと押した気がしたから・・・・・・。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年２月13日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2009-02-13T12:48:30+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/02/post-f4b5.html">
<title>寒中</title>
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<description>２月８日（日曜日）、本日は雲ひとつない晴天である。午後から散歩。あちこちの庭先か...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;２月８日（日曜日）、本日は雲ひとつない晴天である。午後から散歩。あちこちの庭先から紅梅白梅が薫ってくる。&lt;br /&gt;
しかし、野良猫の姿はこのところめっきり少なくなったのが寂しい。なかでも、仔猫１０匹ぐらい里親を探してあげた、元気で凛々しいチャコの姿がないのが一番こたえる。チャコは半野良で、Tさんのアパートの床下で暮していた。TさんとFさんが主に面倒を見ていた。２年前にFさんが亡くなられてからは、Tさんが一人で頑張っていた。チャコはとても利口な猫で、近所に迷惑をかけているとも思えなかったが、隣家からの苦情が度重なり、Tさんは泣く泣くチャコを保健所に引き渡した。それまで、５年以上も、避妊手術をしようとしてあの手この手を使っても絶対に捕まらなかったチャコなのに、どうゆうわけかその日は保健所が用意した金網のケージに自分で入っていったという。現場を見たわけではないので、なんともいえないが散歩の道すがらふとチャコの気配を感じて立ち止まることが度々ある。そのたびに、（&lt;strong&gt;チャコは、もういないんだ&lt;/strong&gt;）と思う。&lt;br /&gt;
せめての救いは、里親の下にいるチャコの仔猫たちが全員元気に育っているということだ。明日は、その一匹「さくら」に会いに行く。木登りの上手なチャコに似た凛々しい女の子だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２月８日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/01/post-3a54.html">
<title>新しい経済学。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/01/post-3a54.html</link>
<description>前の記事でケインズとマルクスにふれたので、その後のことを書こうと思う。 今、ケイ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;前の記事でケインズとマルクスにふれたので、その後のことを書こうと思う。&lt;br /&gt;
今、ケインズとマルクスを読み直すといっても、ケインズの『一般理論』やマルクスの『資本論』を読み直す時間はとても取れない。会社の代表もやっているので、残念なことに結構忙しいのだ。&lt;br /&gt;
そこで、最近発刊されたケインズとマルクスに関する本の中から２冊を選び読んだ。&lt;br /&gt;
ケインズは、宇沢弘文氏の＜ケインズ『一般理論』を読む＞（岩波現代文庫）。マルクスは、伊藤誠氏の＜『資本論』を読む＞（講談社学術文庫）である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どちらも、長年、ケインズやマルクスの理論を研究してこられた碩学の書かれたものである。しかも、今日の経済状況も視野に入れてまとめられているのでとても参考になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、やはりというべきか、マルクスに関していえば、若年の私がマルクスの様々な本を読んだ時、感じたときの感想が覆ることはなかった。当時私は、ヘーゲルとマルクスの本を合わせて読んでいて、（マルクスはヘーゲルを誤読している）などと思っていた。また今日的にいえば、「空気や水」というマルクスの視野の外にあったものが&lt;br /&gt;
、経済活動の中に組み込まれ、利潤を生む商品になってしまった。つまり、彼の経済原理の前提条件であったものが時代の推移のなかで、大きく変ってしまっているのだ。&lt;br /&gt;
また、経済活動における機械化の問題も、現在では、人を必要としない方向に進みつつある。つまり生産性を上げる労働力の供給より、生産性を上げる機械化（AT化も含む）の方がさらに問題になっている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;特殊能力を持つ人以外は、サービス業や、あるいは「３Ｋ」といわれる加重な労働に従事することしかできない。そのような人々にとって、今日の日本では、生活するための経費さえ得るのが難しい状況が現出している（家賃・光熱費･通信費･医療費･保険料など）。このことは、何を意味するのか！？つまり、人の営みにまつわるあらゆることへの、より本源的考察がなされねば、「人も社会」も崩壊してしまうという崖っぷちに現在の私たちは晒されているのであり、この状況下で考えれば、やはり、マルクスも過去の思想家であり、経済学者であると言わざるを得ない（たとえ、多くの貴重な論はあるにしても）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ケインズは、アメリカの大恐慌のときにその時代を背景にして、彼の『一般理論』をまとめた。ケインズの誠実な読み手でもある宇沢氏が指摘しているように、それは彼の仲間の学者たちの討論のなかでうまれ、読者を経済を学ぶ者に想定しているので、冗談みたいな話だが、一般の人には分かりにくく、きちんんとまとまっているものでもない。若年の私は初めてケインズの本を読んだとき、（彼の理論を本にして日本の経済政策は立てられているのだな）と感じた。つまり「公共投資」など、まさにケインズの論そのままに実行されていると考えた。そして、何か、優秀と言われていた当時の日本における高級官僚たちの、ある種の意識の底にあるものに触れたと感じた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、現時点で考察すれば、ケインズもやはり古い。彼の論を参考に現在も行なわれて政策があると認識し、世界の国々をトータルに考えられない現状もあることをも承知したうえでの感想である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なお、このことについては、『カナリアノート』でかなり言及しているので、上記の結論だけ記しておくことにする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それより、これも古いが、年末に読んだドラッカーの『わが軌跡』（ダイヤモンド社）が、面白かった。数人の友人に勧めたが、彼の人としての本音と肌のぬくもりが伝わってきた。このような学者、本音で語り、&lt;strong&gt;自分の生と社会と、他者との関わりを痛いほど感受し、それを本気で考察する&lt;/strong&gt;学者（？）が、多分「新しい経済学」を、「新しい人間観」を生み出してくれるような気がする。無論生存中のドラッカー氏ではなく、「わが軌跡」を書き終わり、亡くなられたドラッカー氏のさらによき部分を内包し、現在を生きる志ある人間によって！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●旧正月を過ぎて、急に元気になったarc編集長が記す。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年１月２９日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/01/post-cf8d.html">
<title>『猫を抱いて象と泳ぐ』</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2009/01/post-cf8d.html</link>
<description>もう一度、J･S･ミルを読もうと思った後、こんどは、マルクスもケインズも、もう一...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;もう一度、J･S･ミルを読もうと思った後、こんどは、マルクスもケインズも、もう一度おさらいしたほうがよいのではという、欲張りな気持が芽生えてきた。だいたい様々な哲学書や経済学の本を読んだのは、もう３０年ほど前のことである。そのころの私なりの感想を、現時点の状況に照らし合わせて、検証してみたいという気持ちもあった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなことで、マルクスとケインズの本を図書館で借りてきたのだが、その翌日、小川洋子さんの『猫を抱いて象と泳ぐ』(文藝春秋）が本屋に平積みになっていたので思わず購入してしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その日から、マルクスもケインズもほっぽりぱなしで、私はこの小説に夢中になった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もう、頭の中全部が、リトル・アリョーヒンの世界に移行して、現実の時間は消えてしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;結論だけ言おう。この小説は単に小川洋子さんの最高傑作というだけでなく、この数十年、日本文学といわれている雑多な作品の中でも、文句なしの最高傑作である。猫と、象と、好きな動物ばかりがタイトルに入っていたという理由だけで手にとったのが･･････&lt;strong&gt;大当たり！&lt;/strong&gt;であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それからは、もうマルクスもケインズもどうでもよいという気分で、私の頭は完全に別の世界に移行してしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;2009年１月２５日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>『カナリアノート』とＪ．Ｓ．ミル</title>
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<description>ジョン・ステュアート・ミルの著作は、20歳前後から30代にかけて読んだのだが、ど...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;ジョン・ステュアート・ミルの著作は、20歳前後から30代にかけて読んだのだが、どの著作を読んでもＪ．Ｓ．ミルは２０代の私にとって、拒否感より、共感の方がより多い唯一といってもよい思想家だった。ここしばらく読んでいなかったが、Ｊ．Ｓ．ミルの著書は、ほとんどが「大事な本の書棚」に取ってあり、最近また手にとって読みはじめた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;というのも、昨年末に会った友人に、「今後の経済学というものを考えるとき、Ｊ．Ｓ．ミルの考え方は、ひとつの大きな手掛かりになるのでは」と話したところ、「僕もまったくそう思う」という返事が返ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;実は、その友人が、住まいの他に書庫用のトランクルームを借りるほどの読書家であるということを、その日はじめて知ったのだが、その日も絶版になっている日本の経済学者の本をやっと手に入れたと嬉しそうだったので話がＪ．Ｓ．ミルまで及んだのだった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのようなことがあり、何十年もご無沙汰していたＪ．Ｓ．ミルを少しずつ読み返していて、重大なことに気がついた。彼は｢人口問題」について一貫して考えていたという事実に改めて気づかされたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかも、彼の人口抑制の論拠が、『カナリアノート』を書いたときの私の問題意識ととても共通するということである。その論拠のひとつをここに記すと、&lt;br /&gt;
&lt;strong&gt;「人の人格形成においては、孤独で静かな時間が絶対必要であり、人口が過密であることは、単に食料の不足、環境破壊などに止まらず、個人にとっての自由な時間の収奪にもなりうる」(要旨）&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ということなどである。この部分などは最初に読んだときには意識に残らなかったが、まつたくそのとおりで、彼が&lt;br /&gt;
マルクスやエンゲルスと同時代の思想家でありながら、彼等よりさらに奥深く、人にとっての様々な事象を考えぬいていたことが分かる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今年は、現在の日本及び世界の状況を考えながら、改めて&lt;strong&gt;Ｊ．Ｓ．ミルと対話していこう！&lt;/strong&gt;などとと考えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;オバマ大統領就任式の翌日に記す。　2009年1月２１日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>『カナリアノート』発刊後に考える。</title>
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<description>昨年、『カナリアノート』という哲学エッセイを発刊した。 その後に考えたことを、こ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨年、『カナリアノート』という哲学エッセイを発刊した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その後に考えたことを、これから折々記すことにする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年は、デスカッションと読書と散歩で始まった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;デスカッションは、主に最近日本や世界で起こっている様々な事象についてだった。&lt;br /&gt;
読書は、どういうわけか、宗教関係（キリスト教・イスラム教・ユダヤ教やイスラム教・チベット密教など）のものが多かった。図書館でアトランダムに選択したのだが、「人はかくして、神の敷居を越える」（「カナリアノート』断章７）と記した著書には意外だったが、それでも、それらの本により、改めて人が神を求めてさまよったこれまでも膨大な時間を追体験させてもらった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;散歩は近所に５年ほど前に造成された小川を歩くことだった。鴨が１０羽ぐらい居て、鯉も放たれていた。昔は、本物の小川が流れ、桜並木が続いていた。３０年くらい前に、桜はほとんど切り倒され、川にはコンクリートの蓋が被せられて、夏になると溝川の臭いがした。現在は、小川の水は浄水され、臭いもまるでなくなった。周囲にはマンションや戸建住宅がたちならび、散歩する人も増えた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、浅瀬の川は人の侵入が可能で、鴨を取って食べようとする人の姿が容易に想像できる。だから、心おだやかな散歩とはいかなかったが、この辺りの散歩はいつもそんな感じである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;野生の生き物に出会うと、彼等の命の心配ばかりしてしまう。野生でなくとも、人々が暮らす家々の風情も、たおやかな、なにげない幸福感からはほど遠い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;せめて、木々が、空が、晴れて見えるのが救いであった。こころの中で、空と自分を繫げ、虚空に解き放ってみる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
●２００９年１月１８日　最近の編集長の写真です。（『カナリアノート』の帯に24歳当時の写真を使用したので、最近の私はどのように変貌したのか、このページの読者のみに公開します。最近、お一人様でご活躍のUさんは、な、なんと、私のカナリア帯びの写真を見て「遺稿集かと思い、ドキットした」という彼女らしいコメントを寄せました。このような誤解！？を極力避けるためでもあります（笑）。&lt;a href=&quot;http://www.leyline-arc.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/01/27/1.jpg&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;1&quot; title=&quot;1&quot; src=&quot;http://www.leyline-arc.com/henshucho/images/2009/01/27/1.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;95&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/06/post_6bb1.html">
<title>右と左</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/06/post_6bb1.html</link>
<description>１０歳前後まで右と左という位置関係が飲み込めず、右は箸を持つ側、左は茶碗を持つ側...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０歳前後まで右と左という位置関係が飲み込めず、右は箸を持つ側、左は茶碗を持つ側とイメージして判断していた。&lt;br /&gt;
そのせいかどうか、頭の中を通ると矢印の向きが逆転したり、○が×になったりしてしまう。困るのはカタカナ語が反転しまうことだ。ａｒｃを初めてからも、ヒマラヤがヒラヤマになったり、スリラーがスラリーになったりする。&lt;br /&gt;
だから、自分の書いたものは必ず読み返さないと大変なことになる。&lt;br /&gt;
そのような癖に気づいたのは大分前のことだが、これまで深く追求せずにきた。&lt;br /&gt;
私のことをよく知っている友人は、「幼児性が残っているからではないのか」などと解説していた。&lt;br /&gt;
しかし、未だにそういう癖が直らないのはもっと深い理由があるからではないのか、と考えた。&lt;br /&gt;
思い当たったのは、記憶にない幼児のころの私は、本当は左利きで、無理やり右利きにされ、それで頭の中の回路が、いつのまにか、ふたつある事項を逆転させて覚えさせたり、カタカナ言葉を反転させるように仕向けるのではないかということだった。いずれにしてもこの癖とは生涯付き合うことになるだろうし、それならばもっと面白くこの癖を解釈できないだろうか、などと考えている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００８年６月４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<title>月の輪</title>
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<description>シロちゃんがきて３週間ぐらいです。シロちゃんは白に薄茶がだんだら模様になっている...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;シロちゃんがきて３週間ぐらいです。シロちゃんは白に薄茶がだんだら模様になっている和猫ですが、レイラインにきたばかりの時は白の部分が汚れていて、「グレーちゃん」でしたが、このところ本来の白にもどり、すごい発見をしました。&lt;br /&gt;
左の白いわき腹に大きな月の輪のような薄茶の模様があるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この月の輪を眺めているととても幸福な気持になるのが不思議。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;白ちゃんはこの月の輪を持って生まれた仔猫時代を、レイラインの事務所でやりなおしています。&lt;br /&gt;
走りかたも、じゃれ方もなにもかにも仔猫そのもの、おかげで元からいたレイラインの若年寄風になっていた猫たちが刺激を受けて一緒に遊んでいます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００８年３月１４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/02/post_79ee.html">
<title>にゃん、にゃん、にゃん。</title>
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<description>初めて知りましたが、今日は2月22日で｢猫の日」だそうです。２・２・２（にゃん、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;初めて知りましたが、今日は2月22日で｢猫の日」だそうです。２・２・２（にゃん、にゃん、にゃん）の語呂合わせでしょうね。&lt;br /&gt;
この日、レイラインの事務所にはシロちゃんがきました。今は動物病院から借りてきた大きなケージのなかですやすや眠っています。いろいろ思い悩む日々を過ごしたのですが、3日前にある出来事があり、シロちゃん、茶チビを取り合えず引き取り、どちらか一匹の里親探しをしようと決めたのです。&lt;br /&gt;
しかし、シロちゃんはすぐに捕獲できたのですが、茶チビは捕まりません。2日間時間を置いて何度も捕獲作戦を実行したのですが、姿はあらわすものの警戒心が異常に強くなり、昨日茶チビ捕獲は断念しました。&lt;br /&gt;
人にもそれぞれ運命があるように、猫にも運命があるのでしょうね。&lt;br /&gt;
そして、何が幸いかも人も猫も時々の成り行きでは分かりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ともあれ、私としては大好きなシロちゃんがレイラインに来てくれて嬉しい！！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日は｢猫の日」、シロちゃんを含めたレイラインの猫全員にカツオブシでも大盤振る舞いします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　2008年2月22日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/02/post_cdee.html">
<title>ビルエバンス</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/02/post_cdee.html</link>
<description>この数ヶ月、レイラインの事務所のBGMはビルエバンスである。彼のＣＤは３枚、それ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この数ヶ月、レイラインの事務所のBGMはビルエバンスである。彼のＣＤは３枚、それを交互に掛けている。&lt;br /&gt;
それ以前はショパンの協奏曲だったり、バッハが多かった。それがいつの間にかビルエバンスオンリーになってしまった。&lt;br /&gt;
だいたいすべてにおいてあまり目移りするほうではない。事務所で着用しているセーターなども一度着ると一ヶ月くらいは同じものを着ている。ただ気に入らないもの、音楽でも洋服でもなんでも一度きりでどこかで埃を被る仕儀になる。&lt;br /&gt;
自分の身の回りには、自分なりのラインを引いている。けして贅沢な暮らしをしているわけではないが、大袈裟にいえばそれが自分がこの世に生きていける最低限の条件だと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００８年２月７日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/02/post_10af.html">
<title>シロちゃん③</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/02/post_10af.html</link>
<description>昨日は都心にかなりの雪が降った。 最近、シロちゃんたちのねぐらが判明し、だいぶ安...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日は都心にかなりの雪が降った。&lt;br /&gt;
最近、シロちゃんたちのねぐらが判明し、だいぶ安心している。&lt;br /&gt;
前の編集長のページで、近所に廃屋や物置は見あたらないと書いたが、塀で囲まれたＡさん宅の新築した母屋の横に物置があることを発見した。元農家のＡさん宅の塀を越えてときどき出てくることはあったが、その辺りから庭などの様子を覗いても小さな吹きさらしの社があるくらいで猫のねぐらは無いと思っていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日雪が小止みになったので、餌をあげに行くと、いち早く茶チビがこちらしの姿を認めて、その物置から飛び出してきた。&lt;br /&gt;
シロちゃんは多分今日は無理と考えそのどこかでぐっすり眠っているのだろう。最近、シロちゃんのおおようさが目だってきた。それに反比例して茶チビの俊敏さが際立ってきた。同じ親のもとに産まれ育った兄弟であるが、性格がまるで違う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;猫たちに餌をやりに行く前に、テレビではアフリカの紛争地域の難民キャンプに食料を届ける国連職員の日本人女性の&lt;br /&gt;
ドキメンタリーを放映していた。飢えは人にも猫にも平等にやってくる。それぞれが、どのように飢えを発生させず、飢えを克服できるのか、この一点からも今の世界が解決しなければならない問題の多くが見えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００８年２月４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/01/post_ebb7.html">
<title>シロちゃん②</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/01/post_ebb7.html</link>
<description>今日もシロちゃんと茶チビが駐車場の入口で並んで待っていた。適当な車の下でいつもよ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;今日もシロちゃんと茶チビが駐車場の入口で並んで待っていた。適当な車の下でいつもよりたくさんの猫の缶詰をあげる。&lt;br /&gt;
その他の野良ちゃんたちもいつのまにか寄ってきて、分け前にあずかる。天気予報は今日の夜から明日にかけて雪だと報じている。春に産まれたシロちゃんたちにとっては初めての雪。彼等のねぐらはまだ分からない。駐車場を中心に半径１００ｍ以内であることは確かだが、この辺りには廃屋もないし、昔のように野良猫が雨宿りできそうな物置も見当たらない。新築の住宅やアパートの床下は入り口がみな鉄の格子でふさがれていて猫が入る余地はない。しかし都会と違い緑は多い、可能性は少ないがそのどこかに洞のようなものがあり、そこをねぐらにしているのかもしれない。&lt;br /&gt;
ともあれ、彼らの母親ミーチャンその他は昨年の冬を越したのだ。どこかに雪や雨をしのぐ場所がなければ冬は越せなかったはず、そう考え、まだ緊急避難の措置はとっていない。&lt;br /&gt;
最近我々の他にシロちゃんたちの行動半径のほんの５０ｍぐらい先の農家の人が野良ちゃんたちに餌をあげているのを見た。しかし野良猫のテリトリーは厳しく、シロちゃんたちはそこまで足をのばせない。&lt;br /&gt;
最近は野良猫というとすぐに避妊手術、虚勢手術という話しになるが、それは最後の手段で、できれば里親をみつけたい。この２・３ヶ月で里親がみつからなければ、そのときには最後の手段も考えざるを得ないのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　2008年1月20日&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-01-20T17:51:11+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/01/post_7cf3.html">
<title>シロちゃん</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2008/01/post_7cf3.html</link>
<description>近所にシロちゃんと名づけた野良猫がいる。昨年春に産まれた。母猫はミーという名の三...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;近所にシロちゃんと名づけた野良猫がいる。昨年春に産まれた。母猫はミーという名の三毛猫で、多分初産でシロちゃんと茶チビを産んだ。茶チビはシロちゃんと仲がよく、いつも一緒にいる。シロちゃんより小さく、臆病なので最初は女の子だと思い込んでいたが、最近オス猫であることが判明した。シロちゃんもオス猫だ。&lt;br /&gt;
この２匹のチビが最初にミーがいる駐車場に現れたとき、あまりの可愛さに何とか里親をと考え手を尽くしたが間合いがわるく、決まりかけては駄目になった。&lt;br /&gt;
レイラインの事務所でこれ以上飼うのは無理、これまで他の野良猫の里親を１５匹世話したが、皆可愛がられ元気に育っている。なぜシロちゃんと茶チビの里親はみつからないのか、そんなこんなしているうちに月日は流れ、シロちゃんも茶チビもだいぶ大きくなってきた。今までは皆仔猫のうちに里親を探したのだが、大きくなるにつれ里親探しはより困難になることは目に見えている。どうしよう。このところこの子たちの処遇をで迷いに迷っている。&lt;br /&gt;
シロちゃんは、はじめから私たちに対して無防備で、ご飯を食べるより甘える方が先、身体をゴロンゴロンさせて、甘噛までする。薄茶色の瞳でときどきチラット見つめる。なんとチャーミングな男の子。&lt;br /&gt;
スタッフに「やっぱり連れてこよう」と断言し、｢無理よ」と言われて、（そうだな・・・）と思う。&lt;br /&gt;
やはり野良猫に餌をやっている青年が、あるとき言った。&lt;br /&gt;
「野良猫は野生ではない、人間が餌をやらなければ生きることができない、彼らはいわば人間の都合で野良にならされた猫の難民なのだから」&lt;br /&gt;
まったくそうだと思う。だからギリスのどこかの町にあるという「野良猫の家」みたいなものがあれば良いと思う。&lt;br /&gt;
そこでは、野良化してしまった猫を家猫として飼えるように、住宅風の建物のなかで育てているという。&lt;br /&gt;
そして、どこの家でも飼えるようになってから里親を探す。&lt;br /&gt;
ボランティアが運営しているそうだが、建物の建築費などは行政が出した。&lt;br /&gt;
何億というお金を、たかが野良猫のために使うことを住民も認めたのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;でも、ここはニッポン、誰か野良猫たちのマザーテレザが現れることを祈るしかない。そして今日も（シロちゃん、どうしようかな・・・）と悩むしかない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;●野良猫、シロチャンの写真&lt;a href=&quot;http://www.leyline-arc.com/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2009/01/27/970.jpg&quot; class=&quot;mb&quot;&gt;&lt;img alt=&quot;970&quot; title=&quot;970&quot; src=&quot;http://www.leyline-arc.com/henshucho/images/2009/01/27/970.jpg&quot; width=&quot;100&quot; height=&quot;71&quot; border=&quot;0&quot; style=&quot;float: left; margin: 0px 5px 5px 0px;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　　２００８年１月15日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2008-01-15T17:33:15+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/12/arcnet_5f65.html">
<title>arc-net不通。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/12/arcnet_5f65.html</link>
<description>この２ヶ月、ａｒｃ－ｎｅｔが閲覧できなくなった。ドメイン名が更新されなかったため...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この２ヶ月、ａｒｃ－ｎｅｔが閲覧できなくなった。ドメイン名が更新されなかったため、旧ａｒｃ－ｎｅｔのドメインが失効し、そのことに気付いた誰かが、いち早くａｒｃ－ｎｅｔのドメイン名を取得してしまったのだ。ドメイン名の業者は、更新の連絡をしたというが、それらは、すべて迷惑メールフォルダに入っていたらしい。ウイルスバスターの更新の連絡は何度もくるし、件名に更新の連絡と明示してあるので、分かりやすく、迷惑メールのフォルダに入ったこともない。迷惑メールも一応はチェックするのだが、件名だけである。&lt;br /&gt;
このために、気づいたのは一ヶ月ほどまえのことだが、この事態にどう対応してよいか分からず、新しいドメインを取得し、このURLに反映させるのにさらに一ヶ月かかってしまった。&lt;br /&gt;
ネットの業者はどこも電話連絡を受け付けておらず（自動コールはあるが、まるで要領を得ない）、さらに対応の指示もバラバラである。こちらがそのようなものに不得手ということもあろうが、不親切極まりないという感想を持った。&lt;br /&gt;
幸いこのココログ担当者は親切に教えてくれたが、ここにたどりつくまでが大変だった。&lt;br /&gt;
いつもこのページをのぞいてくださっている皆様には大変ご迷惑をお掛けしました。上記のような経緯があったことをここに記し謝罪？に変えたいと思います。　２００７年１２月２２日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2007-12-22T16:46:15+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/05/post_5559.html">
<title>カナリアパーク</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/05/post_5559.html</link>
<description>（村上春樹風の掌編） ５月の風が心地よく薫っていた公園を、ぼくは３日前に知り合っ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;（村上春樹風の掌編）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;５月の風が心地よく薫っていた公園を、ぼくは３日前に知り合ったガールフレンドと歩いていた。&lt;br /&gt;
公園は都心にしては広々として、いくつもの散歩道があった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ポプラのような白樺のような明るい葉をつけた木々の間を歩いていたとき、彼女が突然言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「なぜ、女の子のニートっていないのかしら」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼女はいつもこんな風に前後の脈絡のないことを言う。僕はそんな彼女の発する言葉が面白くて、彼女と付き合い始めたのだ。&lt;br /&gt;
それから、少し間をおいて、また彼女は言った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「そうか、女の子は家にいても、家事手伝いになるのね」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ぼくは、高く笑った。ポプラか白樺か分からない、明るい葉の向こうにある５月の空にぼくの笑い声が吸い込まれていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;彼女がその空に顔を上げつぶやいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「きれいな空、木漏れ日っていう言葉はありますけど、なぜ木漏れ空という言葉はないのでしょう」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;視点の逆転した遠近法が彼女の言葉からたちあらわれた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「面白いね」&lt;br /&gt;
ぼくが言うと、彼女が少しおおきめな声でいった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「あなたも私もカナリアだけど、ニートもカナリアね」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;（そうかもしれない）、ぼくの心にいろいろなカナリアたちの姿が立ち現れ、それから、カナリアたちはひとつひとつの形相を携えて、木々の間の５月の空に向って羽ばたいていった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００７年５月１８日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/03/post_bfa4.html">
<title>城山三郎先生</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/03/post_bfa4.html</link>
<description>城山先生の訃報を聞いた。それ以来、耳朶に先生の声が響いている。 思えば、arc創...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;城山先生の訃報を聞いた。それ以来、耳朶に先生の声が響いている。&lt;br /&gt;
思えば、arc創刊号以来、城山先生はarcを激励してくださっていた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;創刊号の編集長インタビューには、ビル・ゲイツ氏を予定していた。そのことをお伝えしたとき、先生は、「絶対、とりなさい！」と強い口調で言ってくださった。それから日本及びアメリカのマイクロソフト広報部との熾烈な交渉が始まった。夜明けにアメリカのマイクロソフト本社からファクスが届き、「やった！」と思ったが、断りのファクスだった。それでもあきらめず、ビル・ゲイツ氏の自宅、財団にもオファの手紙を書いた。イギリス在住の友人は、ビル・ゲイツ氏のよく行く店を調べてくれて、その店でコンタクトをとったらと笑いながら教えてくれた。&lt;br /&gt;
本気だった。しかしそのときは、それ以上のことはできなかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、arc３号で城山三郎氏のインタビューが実現した。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;先生は、あるがままの姿で、私の質問に何でも答えてくださった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日、その号を読み返し、先生はご自分の素顔をさらすことを覚悟してインタビューに応じてくださったのだと思った。あえて言えば、ご自分の弱点を諸々の人々に知られることも厭わなかったということである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人は、それぞれ、他者に対する「判断基準」と｢距離」を設定する。&lt;br /&gt;
個人が、社会的存在になればなるほど、この他者に対する｢判断基準」と｢距離」は、冷たいものになっていくのが通例である。しかし、自らがどのような存在になろうと、｢自分の眼差し」を失わなかった人、それが、私にとっての城山先生であった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　２００７年３月２３日　arc編集長&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<dc:date>2007-03-25T16:32:42+09:00</dc:date>
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<title>蜜蜂マーヤが消えた！</title>
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<description>３月１日の新聞夕刊にアメリカで蜜蜂が大量に消えたという記事があった。 過去にも何...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;３月１日の新聞夕刊にアメリカで蜜蜂が大量に消えたという記事があった。&lt;br /&gt;
過去にも何度かあったらしいが、アメリカ全州の規模で消えてしまったのは初めてという。原因はまだ分からないらしい。私は４・５歳ごろキンダーブックという本に載っていた｢蜜蜂マーヤ」に夢中になり、ついには何年にもわたり、蜜蜂マーヤになりきってきたことがあるので、とても他人ごととは思えず、記事を読んだ直後は、なんだか自分が消されてしまったような気分になった。&lt;br /&gt;
ａｒｃ６号で、「カナリアが世界を変える」という特集を組んだが、もしかすると、｢蜜蜂」も「カナリア」の親戚かもしれない。&lt;br /&gt;
つまり、カナリアは自らの死をもっって危険を予知したのだが、蜜蜂も｢消える」ことで何かを知らせようとしたのかもしれない。ともあれ、カナリアの親戚たるａｒｃ編集長は、「この世のシステムに波乗りする図太い神経の人々」にかなり鍛えられ少しずつ強靭になっていますから、ご安心ください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　２００７年３月１日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/01/post_d3af.html">
<title>晴れ、晴れ、晴れ。</title>
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<description>晴れ、晴れ、晴れ。 ともあれ、「晴れ、晴れ、晴れ」が続いている。 ｢雨、雨、雨」...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;晴れ、晴れ、晴れ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ともあれ、「晴れ、晴れ、晴れ」が続いている。&lt;br /&gt;
｢雨、雨、雨」より、｢雪、雪、雪」より、都心で暮らす人間には｢晴れ、晴れ、晴れ」の方が、暮しやすいには違いないのだが・・・。季候の変動は深いところで、人にかなりの精神的影響を及ぼす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この｢晴れ、晴れ、晴れ」が、空疎な楽天性と表裏一体になり、なんら反省心のない自惚れた自我肥大にならなければよいのだが、いずれつけは本人に帰ってくるにしても、その意識が振りまく空気感は、清涼な、ただ存在するこの時間と空間を微妙に汚染する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こうして、人は、自分がかもし出した空気に報復されるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　哲学的な１月２７日の断章&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2007/01/post_8616.html">
<title>人間とは何か！？</title>
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<description>正月２日、NHK衛星テレビで｢第３の波」の著者アルビン・トフラー氏が番組の最後で...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;正月２日、NHK衛星テレビで｢第３の波」の著者アルビン・トフラー氏が番組の最後で、次の文明を開くひとつの言葉をボードに書くことを求められ、｢&lt;strong&gt;人間とは何か&lt;/strong&gt;、という問題の再定義が必要」だと書かれていた。&lt;br /&gt;
思えば、arcを創刊する大きな動機のひとつが、｢&lt;strong&gt;人間とは何か&lt;/strong&gt;」をあらゆる立場を超えて追及することであった。&lt;br /&gt;
もとより、思想・哲学の雑誌ではない。しかし、このことが、再定義されなくては、何も始まらないと考えていた。&lt;br /&gt;
現在、日本及び世界で問題になっているほとんどの事象は、このことがなおざりにされ、問題視されてこなかった結果として起こっているといつてもよい。すべてはここから発生し、社会構造・経済・教育エトセトラにおける、混乱と矛盾を引き起こしている。その混乱のなかで、｢無辜の民」たる人々は、生きる意味を取り違え、茫漠たる歴史の狭間に落ちていく。ただ過ぎ行く時間の犠牲者として、それのみに意味付けられながら。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、arc１１号は重要であると密かに思う。このページを根気よく覗いてくれる読者諸氏は別として、誰もarcがそんな大それた動機を内に秘めているなどとは考えていない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、それぞれの視点から様々なことをおっしゃる。しかし、私はそのようなことをほとんど気にしていない。&lt;br /&gt;
好意からの有益な意見には、もちろん耳を傾ける。それほど傲岸不遜ではない。しかし、しかし、まだarcと志をともにし、この雑誌を世界に持っていこうという同志には会えないでいる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００７年、今年こそ&lt;strong&gt;、｢出でよ！arcの異能の士たちよ&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;！&lt;/strong&gt;」。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００７年１月３日　　　　　　arc編集長　東郷禮子&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2006/07/post_d5f6.html">
<title>このごろ。 </title>
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<description>このごろ、と書いたが、このごろがいつからを指すのかが判然としない。 この一年間を...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;このごろ、と書いたが、このごろがいつからを指すのかが判然としない。&lt;br /&gt;
この一年間を指すのか、この一ヶ月を指すのか、この一週間を指すのか、いつもそのような主観的時間を言葉で他人に伝えるとき、ふと困るときがある。だいたいはあまりそのようなことに斟酌せずに話している。&lt;br /&gt;
だから、アバウトで大ザツパな人間に見られることが多いし、それでもよいと思っている。&lt;br /&gt;
しかし、度重なると大いに誤解され、とんでもないことになることもある。&lt;br /&gt;
相手を見て話をすることも礼儀のうちであると、最近感じることが多くなった。&lt;br /&gt;
「自分はどう思われてもよい」というのはひとつの覚悟でもあるのだけれど、それは、あくまで自分に即した覚悟であり、相手に自分をなるべく誤解のないように印象づけるのも親切のうちかな、とも考える。&lt;br /&gt;
しかし、あまりそういうことを気にしていたのでは疲れる。&lt;br /&gt;
そこでやはり、言葉で不足している部分は｢人となり」で補うしかないと改めて思う。&lt;br /&gt;
だが、「今の世の中で、分りにくい人間の人となり」を言葉でなく、人格で見抜ける達人が何人いるのかなとも考えると、親切の及ぶ範囲がなんとなく見えてくる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;堂々巡りである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、この問題、本当はとても深い事柄をふくんでいると思うので、このような問題の根幹に関る本を、いつか出したいと考えているが、はたして読んでくれる人はいるののだろうかと今から不安である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００６年７月２９日 &lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2006/05/post_5322.html">
<title>右脳と左脳</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2006/05/post_5322.html</link>
<description>最近、複数の友人から勧められる本の内容が、どういうわけか右脳と左脳について書かれ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、複数の友人から勧められる本の内容が、どういうわけか右脳と左脳について書かれたものが多い。&lt;br /&gt;
昔、マーシャル・マクルーハンも少し違った観点ではあるが、この問題を書いていた気がする。&lt;br /&gt;
文明が大きくかわるときには、人々の意識の変容と、それにともなうパラダイムの変換が起るということは、これまでも言われてきたことであるが、状況的には、まるで２０世紀に逆戻りしているかに感じられる世界のなかで、ある種の新しい意識の形態が、種々論じられることは興味深い。&lt;br /&gt;
右脳と左脳の問題は、人間の意識構造に深く関わる問題であるが、その機能的役割を論述したとしても、人間性全体としての意識の問題が、人間の生き方の多くの部分を占めているということが、人々の共通認識になるのは、まだ先のことだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしても、ａｒｃ１１号（新創刊１号）では、このような問題を、詳細かつ大胆に取り上げ、個々の身に起っている事柄と、社会の中で起っている事柄が、意識の奥底で、どのように繋がりあっているのかを分りやすく記事にしますのでご期待ください。&lt;br /&gt;
なお、ａｒｃ１１号（新創刊１号）発刊は、１１号からの内容の大々的改変により少し遅れますこともご了承ください。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００６年５月２７日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/10/post_9a58.html">
<title>タネゲリラ！</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/10/post_9a58.html</link>
<description>アボガド、ライチなどの種を、私はいつも捨てるのに躊躇する。これはもう理屈ではなく...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;アボガド、ライチなどの種を、私はいつも捨てるのに躊躇する。これはもう理屈ではなく感覚なのだ。&lt;br /&gt;
アボガドの種は鉢に植えると必ず発芽する。中には天井まで届いたアボガドの木もあった。それをご近所の人に何鉢か分けてあげた。でもいつでもではない。この頃は忙しさにかまけて、最終的に捨ててしまうことが多い。実のなる種ばかりでなく、朝顔の種も捨てられないので、ポケットにいれ、近所の土のある場所に蒔いてまわったこともある。&lt;br /&gt;
最近、その話しをある若者にしたら、「タネゲリラだ！」と言われた。新鮮な言葉だと思った。例えそこが自分の土地でなくとも、あちこちに種を植えておけば、いつかそこから実のなる木々が生えてくる。「タネゲリラ」は楽しく、心踊る光景を各地に現出させる行為かも知れない。但し人目につかない場所でないと雑草と勘違いされて、発芽してもすぐに引っこ抜かれてしまう可能性がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００５年１０月２日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/08/post_3b92.html">
<title>追い風、向かい風。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/08/post_3b92.html</link>
<description>arc９号「岡本敏子追悼号」が発刊されてほぼ２週間経った。 すごい。この本のパワ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;arc９号「岡本敏子追悼号」が発刊されてほぼ２週間経った。&lt;br /&gt;
すごい。この本のパワーがすごい。創った本人が驚いている。&lt;br /&gt;
まず、私宛の書状が３０通近く届いた。みな思いのこもった書状である。&lt;br /&gt;
まだご返事も書けずにいるが、深く頭を下げて書状をくださったお一人、お一人に心からお礼を申し上げたい気持である。書店での動きもarc創刊以来、初めてグイ、グイと活発である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まるで、天国の敏子さん、太郎さんが綱を引いてくれているようだ。ありがとう！！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ニッポンは捨てたものではない。「アヴァンギャルドの精神がこうして伝わっています」そう、お二人に報告したい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、しかし、追い風ばかりではない。向い風も相当に激しい。そのたびに敏子さんの「闘いなさい！」という声が聞こえてくる。個別の人間の意識の姿をとってはいるが、それらルサンチマンはこれまで人類が積み重ねてきた負の経験の集合体だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これを打ち破らなければ、それこそ私も、私と繋がっている社会も変わらない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、向かい風の皆様は追い風のエンジンともいえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だから、本当！皆様、ありがとう！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００５年８月１８日&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/05/post_8bfb.html">
<title>心の襞</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/05/post_8bfb.html</link>
<description>この一ヶ月、私は何をしていたか考えた。編集長のページは４月２０日以来書かなかった...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この一ヶ月、私は何をしていたか考えた。編集長のページは４月２０日以来書かなかった。仕事は毎日切れ目なくしていた。少なくとも編集長の仕事の３分の１は、人と会うことなので多くの有名・無名の人々に会った。&lt;br /&gt;
１００人くらいの人には会ったと思う(但し、年号など、数に関しては非常にアバウトなのでご承知おきを）。&lt;br /&gt;
そのたびに感じたことは、心がはじけている方と、はじけてない方の各種団体・及び個人における比率であった。&lt;br /&gt;
突然であるが、「日本」はいまとても面白い状況にあると私は考えている。そうしたスタンスのなかでのごく個人的感想である。結論を言えば、心のはじけていない方が圧倒的に多い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;家のなかでは何でも自由に言っても、公の場所では言葉を選んでしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、ひそかに思う（今更選ぶほどの言葉があるのかと）、つまりこれまで私たちは、本当に語るべき言葉を語らず、ただ幻想のコミュニケーションのなかでボソボソとなにやらつぶやき、コミュニケーション全体としての活力を失ってきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;確かに、むやみやたら本音を言えばよいというものではないが、それとて本人さえ強く、品位を保持してればよいことで、害を恐れ、警戒していたのでは、本当の活力あるコミュニケーションは誰とも築けない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、大多数がただ孤独のうちに老いていくのである。この恐ろしい光景と隣り合わせのところに、今、私たちは立つている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そう、だから明日は、誤解されることも恐れず、少々のキズも覚悟で、あなたの心の襞に届くような言葉を私は語ろうと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００５年５月２４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/02/post.html">
<title>ふくろう。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/02/post.html</link>
<description>「437.pdf」をダウンロード これは「編集長の部屋」で、いつも編集長の仕事振...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;a href=&quot;http://www.arc-net.jp/henshucho/files/437.pdf&quot;&gt;「437.pdf」をダウンロード&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは「編集長の部屋」で、いつも編集長の仕事振りを見張っている？ふくろうの写真。&lt;br /&gt;
彼？の目を盗んで時々、編集長はゲームをやったり、猫をかまったりしている。&lt;br /&gt;
ただ今、Ａｒｃ８号編集中！もう、頭が１０個くらい欲しい状態です。&lt;br /&gt;
「ふくろうさん監視ばかりしないで、たまには手をかしてください～。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
２００５年２月５日。&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/01/post_2.html">
<title>始まる日。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/01/post_2.html</link>
<description>何かが始まる日は、どこか、何かが永遠と繋がっている気がする。人は毎日、明日のこと...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;何かが始まる日は、どこか、何かが永遠と繋がっている気がする。人は毎日、明日のことを思い煩いながら生きている訳であるが、「明日のことを思い煩うな」と聖書にも書いてある。何千年も昔から人が陥りやすい罠を知っている人は知っていた。ただの人がそういうことをいくら言っても、「普通の人々」は納得できない。それで聖者も、宗教も生まれたのかもしれない。しかし誰か特別の人の言うことをそのまま信じたり、鵜呑みにしたのでは何も変わらないということが、最近除々に明らかになってきたように思う。だったら、なにをどうすればよいのか？&lt;br /&gt;
何かを始める。それが「何かが始まる日」になるかもしれない。新しいなにかが！？&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００５年１月１４日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/01/post_1.html">
<title>猫のいびき。</title>
<link>http://www.leyline-arc.com/henshucho/2005/01/post_1.html</link>
<description>最近、別の部屋にコタツを入れたので、私の枕の右隣に寝ていたリューが寝場所をコタツ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;最近、別の部屋にコタツを入れたので、私の枕の右隣に寝ていたリューが寝場所をコタツに移動した。&lt;br /&gt;
そこで私の布団の中のあちこちを移動して寝ていたシオンが、右隣の私の布団の中に定着し、毎晩天下泰平の眠りをむさぼっている。&lt;br /&gt;
しかしこのシオン、３日前から変わったいびきをかき始めた。はじめは驚いた。冷蔵庫が壊れてしまったのか、それとも？？おきて家中調べたが何事もない。布団に戻りしばらくすると私の腕の中で巻貝のようになっていたシオンのいびきであることに気づいた。「ヒュー、ユルル、ヒュア～ン、ブ～ン」。シオンの身体から腕をはずすと、シオンは腕と足を思いっ切り伸ばし大の字になった。「グ～ン、クゥ～ン、ピ～ロ」、ピィ～ン」いびきはさらに盛大になり、様々な音色を奏でる。&lt;br /&gt;
布団の隅に押しやられた私は、手もとのリモコンのスイッチを入れ、マリア・カラスの『ノルマ』『清らかな女神よ』『椿姫』を聞いて、一時間ほどしてやっと眠りについた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００５年１月６日&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



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<item rdf:about="http://www.leyline-arc.com/henshucho/2004/12/post_2.html">
<title>清らかな爆弾</title>
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<description>清らかな爆弾は、人々の意識のなかで爆発する。 Arcはたくさんの清らかな爆弾を仕...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;清らかな爆弾は、人々の意識のなかで爆発する。&lt;br /&gt;
Arcはたくさんの清らかな爆弾を仕掛けている。&lt;br /&gt;
もしかすると編集長の内部にもこの爆弾は仕掛けられているのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これが、あちこちで爆発しはじめたら面白いと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは、｢悪しきものを、破壊し、良きものを誘発する爆弾である」&lt;br /&gt;
なにが｢悪しき」で、なにが｢良きもの」かは、それぞれの基準があるから、編集長にも分からない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ともあれ、「２００５年あたりから、本格的に爆発するよ！」と、スペインあたりの占い師が言ったそうだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;　　２００４年１２月１０日&lt;/p&gt;</content:encoded>



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