パラダイムシフト
最近、「パラダイムシフト」という言葉をあちこちで聞く。時代の危機的状況を考えれば、この言葉が頻繁に登場することは理解できる。しかし、パラダイムシフトは意図して創出できるものなのか。人々のものの見方、価値判断が時代状況のなかで少しずつ表面的に変ることはあるが、根源的に人々の「ものの見方、捉え方」が組み替えられるということは、そうたやすくは起らないのではないか。たとえば、個々の、ある種の宗教的体験のなかでは、そういうことが起る可能性はある。アシジの聖フランチェスコの弟子たちは、そうであったし、時々の文明のなかで生まれた宗教者の宗教的体験は、その時代の社会的構造の埒外から、その時代の価値観と生き方を組み替え、新たな人間と、新たな生き方を宗教的次元で確立した。また既成の価値観や、人間観を再考し、新たな人のあり方を考えるということは、哲学者や思想家などにより模索され続けてきたことでもあったが、意図したパラダイムシフトというのには、なにか言語矛盾のようなものをを感じる。
私は、既存の言葉の持つ意味内容が変るほどの変化が「パラダイムシフト」だと考えている。だとすれば、私たちは日常的に使用している言語(意味)への、新たなる到達手段を見つけなければならないと思う。
たとえば、ごく普通に使用されている、「怒り」とか、「憎しみ」とか、個々の感情を言い表す、言葉に違和感を覚えることがあったとしたら、それが個々における「パラダイムシフト」の予兆であると思うのだ。
その意味を再考することは、個々の革命に繫がるし、社会に確実に伝播していくだろう。
2009年3月1日
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