中心からの逸脱
改めて、「カナリア」の意味について考える。先ず「カナリア」は世間の価値観に染まることができない。
社会はシステムのうえでは変っていくが、人々の意識が変らない限り、「世間」という場はどこにでも、いつでも出現するだろう。「世間」は時々に曖昧模糊とした人々の意識のなかで、強固で実利的な価値観を形成する。
古来人々は、この価値観を受け入れることで、社会のなかでの自分という存在の有益性、あるいは無価値性を確認した、つまり人々は世間と繫がっていることにより、孤立感を解消し、「皆と同じ存在」になることでときどきの実質的社会を支えてきたのだ。
しかし、カナリアはこの「皆と同じ」世界のなかでは生きえない。そこで「社会の曖昧模糊とした中心」から逸脱し
個々の人格のなかに普遍的な価値を形成する作業に没頭する。それは「カナリアの魂」と擦り合う現実の人、現実の状況のなかで磨かれ、自己のカナリアたる魂の、心の源に遡る旅でもあるし、まだ実現されていない未来の価値を自己のなかに確認、確立する旅でもある。
いずれにしても、「カナリア」は、一つの必然としての生を生きる者であり、この世にあって、過去と未来を繫ぐ使者でもある。
2月25日
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