新しい経済学。
前の記事でケインズとマルクスにふれたので、その後のことを書こうと思う。
今、ケインズとマルクスを読み直すといっても、ケインズの『一般理論』やマルクスの『資本論』を読み直す時間はとても取れない。会社の代表もやっているので、残念なことに結構忙しいのだ。
そこで、最近発刊されたケインズとマルクスに関する本の中から2冊を選び読んだ。
ケインズは、宇沢弘文氏の<ケインズ『一般理論』を読む>(岩波現代文庫)。マルクスは、伊藤誠氏の<『資本論』を読む>(講談社学術文庫)である。
どちらも、長年、ケインズやマルクスの理論を研究してこられた碩学の書かれたものである。しかも、今日の経済状況も視野に入れてまとめられているのでとても参考になった。
しかし、やはりというべきか、マルクスに関していえば、若年の私がマルクスの様々な本を読んだ時、感じたときの感想が覆ることはなかった。当時私は、ヘーゲルとマルクスの本を合わせて読んでいて、(マルクスはヘーゲルを誤読している)などと思っていた。また今日的にいえば、「空気や水」というマルクスの視野の外にあったものが
、経済活動の中に組み込まれ、利潤を生む商品になってしまった。つまり、彼の経済原理の前提条件であったものが時代の推移のなかで、大きく変ってしまっているのだ。
また、経済活動における機械化の問題も、現在では、人を必要としない方向に進みつつある。つまり生産性を上げる労働力の供給より、生産性を上げる機械化(AT化も含む)の方がさらに問題になっている。
特殊能力を持つ人以外は、サービス業や、あるいは「3K」といわれる加重な労働に従事することしかできない。そのような人々にとって、今日の日本では、生活するための経費さえ得るのが難しい状況が現出している(家賃・光熱費・通信費・医療費・保険料など)。このことは、何を意味するのか!?つまり、人の営みにまつわるあらゆることへの、より本源的考察がなされねば、「人も社会」も崩壊してしまうという崖っぷちに現在の私たちは晒されているのであり、この状況下で考えれば、やはり、マルクスも過去の思想家であり、経済学者であると言わざるを得ない(たとえ、多くの貴重な論はあるにしても)。
ケインズは、アメリカの大恐慌のときにその時代を背景にして、彼の『一般理論』をまとめた。ケインズの誠実な読み手でもある宇沢氏が指摘しているように、それは彼の仲間の学者たちの討論のなかでうまれ、読者を経済を学ぶ者に想定しているので、冗談みたいな話だが、一般の人には分かりにくく、きちんんとまとまっているものでもない。若年の私は初めてケインズの本を読んだとき、(彼の理論を本にして日本の経済政策は立てられているのだな)と感じた。つまり「公共投資」など、まさにケインズの論そのままに実行されていると考えた。そして、何か、優秀と言われていた当時の日本における高級官僚たちの、ある種の意識の底にあるものに触れたと感じた。
しかし、現時点で考察すれば、ケインズもやはり古い。彼の論を参考に現在も行なわれて政策があると認識し、世界の国々をトータルに考えられない現状もあることをも承知したうえでの感想である。
なお、このことについては、『カナリアノート』でかなり言及しているので、上記の結論だけ記しておくことにする。
それより、これも古いが、年末に読んだドラッカーの『わが軌跡』(ダイヤモンド社)が、面白かった。数人の友人に勧めたが、彼の人としての本音と肌のぬくもりが伝わってきた。このような学者、本音で語り、自分の生と社会と、他者との関わりを痛いほど感受し、それを本気で考察する学者(?)が、多分「新しい経済学」を、「新しい人間観」を生み出してくれるような気がする。無論生存中のドラッカー氏ではなく、「わが軌跡」を書き終わり、亡くなられたドラッカー氏のさらによき部分を内包し、現在を生きる志ある人間によって!
●旧正月を過ぎて、急に元気になったarc編集長が記す。
2009年1月29日
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